日光各地の農村振興に尽力した偉人「尊徳さん」の足跡
地元では「尊徳先生(さん)」の名で親しまれている二宮金次郎(尊徳)は、1853年(嘉永6年)に農村復興事業(報徳仕法)を実施するために日光神領(現在の日光市域の大部分)に赴任しました。
金次郎は1856年(安政3年)、今市にて70年の生涯を終えますが、息子の弥太郎(尊行)が報徳仕法を継承し、金次郎・弥太郎親子の尽力によって、田畑・用水路などが整備され、日光の開発が進みました。
館内では彼らの数々の業績などを展示物や動画を使って紹介しています。
また、2階は日光市歴史民俗資料館となっており、日光の山々が信仰の対象になっていった様子や、明治期の神仏分離以降の変容を、豊富な資料を使って紹介しています。