古代日本の仏教文化を今に伝える東国の中心寺院、国指定史跡 下野薬師寺跡
栃木県下野市に広がる下野薬師寺跡は、古代日本の仏教文化を語る上で欠かせない、きわめて重要な遺跡です。7世紀末の創建とされ、奈良の都から遠く離れた東国(現在の関東地方)において、仏教の中心的な役割を担った大寺院でした。その歴史的価値の高さから、国の史跡に指定されています。
東国の仏教センターとしての役割
下野薬師寺は、国家によって建立された「官寺」であり、その規模と役割は地方寺院としては異例のものでした。最盛期には、奈良の薬師寺にも匹敵するほどの壮大な伽藍を誇っていたと考えられています。
特に重要なのは、日本に3つしか設けられなかった「戒壇」の一つが置かれたことです。戒壇とは、僧侶として正式に認められるための儀式「受戒」を行う場所であり、奈良の東大寺、福岡の観世音寺、そしてこの下野薬師寺にのみ設置が許されました。これにより、下野薬師寺は東国における仏教の最高学府、そして僧侶を養成する拠点として、絶大な権威を誇りました。
悲劇の舞台、そして再生へ
この寺院は、奈良時代に起きた僧・道鏡をめぐる事件の舞台としても知られています。称徳天皇の寵愛を受け、絶大な権力を握った道鏡は、天皇の死後にこの下野薬師寺へ左遷されました。日本史の大きな転換点に、この寺院が深く関わっていたことがうかがえます。
平安時代以降、律令国家の衰退とともに寺は徐々に勢いを失い、16世紀には廃寺となったと伝えられています。しかし、その跡地は大切に守られ、発掘調査によって回廊や建物の跡が次々と発見されました。
史跡公園としての現在
現在、下野薬師寺跡は「下野薬師寺歴史館」を併設した史跡公園として整備されています。公園内には、創建当時の建物の基壇(建物の土台)や礎石が復元され、往時の雄大な寺院の姿を偲ぶことができます。特に、回廊跡の規模からは、いかに広大な敷地を誇っていたかが実感できるでしょう。
隣接する「下野薬師寺歴史館」では、発掘調査で出土した瓦や土器などの貴重な文化財が展示されており、寺の歴史や古代の仏教文化について深く学ぶことができます。
緑豊かな公園は、市民の憩いの場としても親しまれており、歴史散策やウォーキングに最適です。古代東国の中心地であった下野薬師寺跡で、悠久の歴史の流れに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。